おはようございます、眞殿です。
誰しも子供の頃、命は大切だと教わったはずです。
命を大切にしましょう、、と。
今回、コロナウイルスがパンデミックを引き起こしたことによって、その事を改めて見つめ直して欲しいと思います。
これまでの日本の様子を見ていると、多くの人がコロナウイルスの事を軽視し、どこか「他人事」と思っているように、私は感じました。
幾度にわたる自粛の要請にも、なかなか応じない人が多くいて、結局は感染を拡大する形となりました。
その様子は、海外のように強制力を持たない日本のやり方では、どれをとっても甘過ぎるという印象を抱かずにはいられませんでした。
そうした中で、日本では、名の知れた有名人が亡くなる事で、コロナウイルスの怖さを実感する人が増えたようです。
〜〜さんが亡くなるなんて、、びっくりしました、、怖いですね、、
そう言いながら、街頭でインタビューを受ける人々、こぞって取り上げるマスメディア、、、
私はこうした流れに違和感を覚えました。
もちろん、悲しいニュースに間違いありません。
しかし、それは、知っている人が亡くなって初めて焦る、という事を象徴しているように見えました。
事実、多くの人がそうでしょう。
自分の知っている人が亡くなって、初めて、コロナウイルスの怖さを知り、ことの重大さが現実味を帯びたのです。
それは、ある意味で、知っている人の死には敏感で、知らない人の死には無頓着だと言っているのと同じなのです。
これこそ、私が感じた違和感です。
確かに、全く知らない人の死と、近しい人の死では、全く同じではないことは仕方のないことです。
しかし、命は命です。
誰しも、たった一つしか持たない貴重な命であることに変わりはないのです。
コロナウイルスによって、世界では、昨夜の時点で20万3622人の方が命を落とすこととなってしまいました。
その全てが、なくしてはならない貴重な命であったことは言うまでもありません。
知っている誰かが亡くなったことで、その恐ろしさや深刻さを知るのではなく、正しい情報を受け取り、今起きている事が全て現実である認識を持ち、私たち一人一人がすべき行動をしていきましょう。
眞殿勝年
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