「似て非なるもの」

ISM

おはようございます、眞殿です。

私は昨年から生活の拠点を海外に移していますが、多民族国家に暮らし、世界中の様々な人々と交流していると、日本に住む日本人が声高に訴える「平等」というものについて日々考えさせられます。

社会的格差や経済格差などないと信じ、
新型コロナウイルスによる自粛で現れた「自粛警察」、
ワクチン接種を巡る混乱など、、今の日本は以前にも増して「平等」に対し過敏になっているのです。

かつては中間層が国の大多数を占め、国民は皆平等だと信じていた時代を過ごしてきた人、そしてその教えを継いできた人、、彼らは今でも「平等」を信じ、格差というものがじわじわと日本社会を分断していることに気づいていないでしょう。

昨年、世間に蔓延った「自粛警察」は、自分が家で我慢しているにも関わらず、外出して楽しむ人がいるのは許せないという思いから生まれています。

これも、その根本には「平等」があり、あの人は〜〜しているのに自分はしていない、という不平等に不満を募らせているのです。

また、ワクチン接種一つを取ってみても、同じ高齢者の中にどう順番をつけるかで論争が起きたり、現在の逼迫した医療の中で誰が入院できて、誰が入院できないかがSNSで炎上するほどの騒ぎになったりと、その全てに「平等」と「不平等」が存在しています。

私はこうした日本の動きを見る度に、「公平」と「平等」を履き違えていると思うのです。

「平等」と「公平」これは似ているようで、全く異なります。

日本は多くの「平等」ばかりを訴え、求め、「公平」であることを理解できず、そして無視してしまっているのです。

その結果が招くことは何か分かりますか?

そして、こうした考えや行動の代償とは一体何でしょう?

次回、詳しくお話していきます。

眞殿勝年

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