「信じるものがない人々」

ISM

おはようございます、眞殿です。

あなたには信じるものがありますか?

こう聞かれてあなたはどのように答えるでしょう?

ほとんどの人が答えに困るのではないでしょうか。

そう、特に日本人ならば。

海外で同じ質問をすると、もちろん国や地域によって異なりますが、多くの人は神を信じていると答えるでしょう。

各々の信じる宗教を持ち、それぞれの形で崇拝している人が多いですから。

その点で日本は無類の無宗教国家と言えます。

結婚式は教会で挙げるのに、お葬式ではお坊さんにお経を唱えてもらうなどと、何とも破茶滅茶で統一性のないことで溢れています。

このような日常になった最大の理由は、「信じるものがない」ということです。

自身の信じるもの、敬うもの、尊ぶべきものが全くないのです。

つまり、それは「人としての核となるものがない」と言えるのです。

それは生きる上で本当に意味がないことのように思います。

なぜなら、自分の核がない人が何を指針として生きているかを考えると、「自分以外の何か」でしかないからです。

自分以外の誰かや、自分で決めたことではない何かに常に左右されているということです。

それが「自分の人生を生きている」と言えるでしょうか?

言えるはずがありません。

私は胸を張って自分の人生を生きていると言えます。

それは、自分を信じているからです。

「自分」という信じるものを持っているからです。

あなたが何を信じるか、そしてどう生きるのか、、それはあなただけが決めることのできる唯一のことで、同時に最大の使命であるということを覚えておいてください。

眞殿勝年

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