「苦労する意味がない」

ISM

おはようございます、眞殿です。

前回、「(若い時の)苦労は買ってでもしろ」という言葉の意味についてお話しました。

苦労をし、それを乗り越えてきた人は、苦労に向き合うだけの精神力と、問題解決の糸口とその解決方法を身に付けているからこそ、人として成長できるのです。


一方、この言葉の含む意味はこれだけではないのです。

「若い時の苦労は、、、」というように、多くの人は「若い=未熟である」と捉えているのです。


もちろん、私は若い人が未熟で、歳を重ねるほど成熟するとは限らないと考えます。

若くても成熟し、聡明な人はいくらでもいますし、歳を取っても未熟な人はごまんといます。

つまり、この言葉の真意は、若く未熟なうちならいくらでも改善し、成長できる余地があるから苦労をどんどんするべきだと言っているのです。


それは、ある意味こう捉えることもできるでしょう。

いつも苦労しているのにそこから抜け出せない人や、同じ苦労(失敗、問題、過ち)の繰り返しばかりしている人は、改善の余地がなく苦労する意味がないと。

なぜなら、苦労から成長することを学ばなければ、苦労する意味がないですし、そのような人は問題の解決方法が間違っている、、そうはっきりと言えるからです。


人は、時には同じ失敗や過ちを繰り返すこともあるかもしれません。

しかし、未熟ゆえの失敗が許されることはずっとは続かないのです。


あなたがいつも苦労ばかりし、そこから抜け出せない人生にならないよう、苦労から何を学ぶか、どう成長に繋げるか、、それを理解できる思考を持ちましょう。

眞殿勝年

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