「英国市民権取得に道を開く」と表明
香港では過去数年間、幾度となく市民による自治を求めるデモや抗議活動が頻繁に繰り返されている。特に2019年以降は「逃亡犯条例改正案の完全な撤回」「デモの暴動認定の取り消し」などの5項目を実現するための大規模デモが週末ごとに繰り返された。活動家と警察隊との衝突が過激化し、双方の暴力的な応酬が起きている映像を見て「これが香港で起こっている事態なのか?」とにわかに信じられない印象を持った人もいただろう。
ただ、衝突が頻発するも旧宗主国・英国の動きはすこぶる悪かった上、各国による中国への事態収拾に向けた働きかけが積極的に行われる気配もなく「世界から見捨てられたデモ」という印象が強かった。
一方で中国は2020年に入り、香港での政治的、社会的混乱を食い止めるべく、香港の治安維持活動に法的根拠を持たせる「国家安全法」の施行に道を開いた。
そして、国際的秩序を重んじる英国はここへきて、ついに声を上げた格好となっている。
ジョンソン首相は香港住民300万人に対し「英国の市民権取得に道を開く」考えを明らかにした。また、中国には「国家安全法を香港に実施するならば、それはすなわち中国が国連に付託された法的拘束力のある中英共同声明に基づく義務と『直接的に対立』する」と訴えた。
つまり、中国が今行っていることに対し、国際的なルールに基づく「ノー」という意思を真っ向から突きつけたのだ。
4割近くが「香港から出たい」と回答
香港紙「明報」は先日、「国家安全法が成立したら移民したいか?」とのアンケートを実施。うち、4割近い37.2%の人々(市民数から推算すると最大280万人)が香港から出たい、と答えた。
「移民したい」と訴える香港市民はおおむね「中国の法の支配が香港に及ぶのなら、早く逃げたい」と考えている。では彼らは本当に「海外脱出」するかどうかについて考えてみたい。
香港では、1984年の中英共同宣言が決まって以降、「自分の街が中国の支配下に落ちるのは許しがたい」と考え、海外に生活の拠点を求め多くの人々が移民した。当時の状況を思い出すと、富裕層が逃げるのは理解できるとして、そうでもない「ごく普通の市民」が前途を悲観して自ら移民の道を選んだ。
移民先は英国、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドといった国々なのだが、そこで暮らしを始めたものの、仕事がない、文化習慣が合わない、さらには気候が違いすぎるなどさまざまな理由で定住できなかった人々も多い。外国籍だけ取って香港に戻った人々もいる。
政治的な危機が目前に迫っているとは言え、周りに「移民に失敗して香港に戻ってきた人々」が多い中、どれだけの人々が移民を実行に移すかは未知数だ。
英国での居住や就労が認められる可能性も
中国が国家安全法の香港での適用を進めている動きに対し、英国は「一国二制度への大いなる挑戦」とみなした。そこでジョンソン首相は、香港市民に英国市民権取得への道を開くため、以下のような提案を明らかにした。
要約すると次のようなものだ。
・英国海外市民(BNO)パスポートを保有する香港人に認めているビザなしの英国滞在期間を、現行の6カ月から12カ月に延長する。
・BNO保有者には今後、就労を含め、これまで以上の権利が与えられる。
・BNO保有者には英市民権を獲得する道が開かれる可能性がある。
※「英首相、香港人のため移民規則変更を検討 国家安全法に反発」(6月3日、BBC)より
香港が英国から中国に返還されたのは1997年7月だが、それから20年以上たつのにいまだ英国政府発行のパスポートを保持する市民がいることに驚きを感じる人もいるかもしれない。BNOは、香港が英領だった当時に香港市民に発行されたもので、英国本土にいる英国民と同等に扱われることは約束されておらず、英国内での居住や就労は認められていない。
また、返還前日の1997年6月30日までの香港出生者しか取得する資格はなく、両親がBNOを持っていてもその子供がBNOを取得する権利はない。
香港市民の「大量移住」に備えて…
英国内務省の資料によると、返還前日までに生まれた人々は約290万人で、「これらの人々はBNOを取る資格がある」と明らかにしている。ただ、実際に今もBNOを保有している香港市民は全人口754万人のうち、約35万人にとどまる。
ちなみに、返還後の香港には「中華人民共和国香港特別行政区(HKSAR, China)」というパスポートがあり、希望する香港市民に発給している。これは本土国民が持つパスポートとは効力が異なり、ビザなしで158カ国に行ける(本土パスポートでは、ビザなしもしくは到着時ビザ取得で70カ国)。また、BNOでは現在もなお119カ国にビザなしで行ける。
こうしたBNOの効力の変更について、ジョンソン首相は「史上最大規模の移民規則の変更」と評している。
香港からの脱出を考えたいこうした人々を後押しするに当たり、ジョンソン首相の姿勢は大いに励みになるだろう。ただ、香港の市民活動に参加している主力層である「1997年以降生まれの若い人たち」への直接的な恩恵になっていないのが残念だが、中国が異議を唱えているところからして、一定の圧力にはなり得ているのだろう。
多くの香港市民が長年住み続けている街を捨てる動きに備え、機密情報に関する同盟「ファイブ・アイズ(正式名称:諜報協定UKUSA)」を構成する5カ国(イギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド)が今後の対応を協議中と伝えられている。香港脱出を「exodus(エクソダス)=大量移住」と表現している英国紙さえある。
ジョンソン首相はもともと香港好き
ジョンソン首相の「香港フリークぶり」は以前から知られている。1964年6月出生と干支では辰年生まれで、ロンドン市長だった同氏が48歳になる2012年(たまたまロンドン五輪の年)の旧正月には「自分の生まれ干支である辰年の新年」を祝うスピーチを発表。最後に香港の公用語・広東語で「恭禧發財(あけましておめでとう)」と結ぶという驚きの対応をした。
その後も「ロンドンにも香港のような海上空港を作りたい」と現地を訪れたりと、「香港好き」を感じさせるエピソードも多い。
ここで、返還前の香港について少し話しておきたい。当時の香港は、植民地という言葉じりから受ける「陰惨で貧困」というイメージとは程遠く「ロンドンのアジア出張所」とも言える場所で、特に金融や貿易など経済分野では英国本土より先進的な地域だった。
当時の英国と香港とを結ぶフライトはいわば国内線扱いで、日本からロンドンへ飛ぶのと距離があまり変わらないのにもかかわらず、チケットは格段に安かった。
英国国民は香港での滞在にいかなる制限もなく、自由に働けた。返還までの数年間、多くの英国人が「植民地へ出稼ぎ」にも行っていた。パブやレストラン、そして当時建設が進んでいた今の香港国際空港およびそれに関連するインフラ整備工事などの働き手として、香港の人々に雇用されていたりもした。
香港で働かないまでも、滞在費や食事が安く、買い物はほぼ全てのものが免税と「英国人が気晴らしに立ち寄る場所」としては好適な条件がそろっていた。
英国内では「難民を受け入れるのか」と反発
ジョンソン首相がここへきて香港の人々に対して手を差し伸べてはいるものの、国内事情はとても盤石とは言えない。
英国は今年1月末をもって欧州連合(EU)から離脱し、いわゆるブレグジットが実現した。現在はEUから離脱する過渡期間にあり、とはいえ、それ以前と比べ、政治・経済面で大きな変化は訪れていない。各国との貿易交渉を展開すべき局面にあるものの、離脱日からほどなくして新型コロナウイルス感染への対応に追われ、交渉自体が遅々として進まない状態だ。
その上、ジョンソン首相はブレグジットを巡っては、移民排斥を訴える側のEU離脱派の旗頭だった。それなのに香港市民の受け入れ可能性に言及したことを受け「ボリス(首相のファーストネーム)は、最大で300万人を受け入れるとは頭がおかしい」、香港にはあちこちにタワマンがあることを揶揄して「ハイドパーク(ロンドン西部の広大な公園)に難民専用の高層アパートを大量建設するのか」など、一斉にブーイングが上がった。一方で、中国のこれまでのやり方を苦々しく思っている市民からの熱烈な後押しもある。
中国との「板挟み状態」をどうする?
中国は中英共同声明によって、黙っていても返還から50年後の2047年には「香港の土地」を取り込むことができる。これに対し、各国の対中関係を巡る動きは、香港問題はもとより、新型コロナウイルス拡散の責任を問いたい、あるいは貿易分野で米中貿易紛争に振り回される事態にある。英国ももちろん例外ではない。
しかし、同盟関係から考えてアメリカ側に付くべき英国だが、目下「中間財と消費財の輸入」と「完成品の対中輸出」において中国に過度に依存している。つまり米中両国の板挟み状態にあり、この点では産業の過度な中国依存を起こしている日本とよく似ている。
さらに、金融市場の面でも中国依存的な要素がある。『とうとうアメリカも介入した「中国VS香港」で問われるイギリスの本気度』(6月13日、PRESIDENT Online)で述べたように、返還以前からある香港の主要2行はロンドンに本社を持ち、こうした機関が「オフショア人民元」の取引を進めている。さらに中国の国営金融機関が積極的に資金調達をロンドンの金融街・シティーを舞台に行っている――などの背景がある。つまり、人権問題を切り取って「NoはNo」「ダメなものはダメ」と中国にぶつける一本調子だけで済ませられない。
「自国パスポートの発給」という奇策を繰り出したジョンソン首相。内憂外患の中、どのような舵取りを進めていくのだろうか。
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