報告を「待つ」から、ネットで「調べる」へ
厚生労働省が5月9日になって新型コロナウイルスの感染状況の集計方法を変えた。その結果、8日正午時点で5889人としていた退院者数が8110人に急増したのだ。
集計方法の変更といっても単純な話だ。従来、都道府県に対して、軽症、重症、退院などの感染者の状況について報告するよう求めていたが、それを都道府県のホームページを参照して集計するように変えた、というのだ。報告を「待って」いるお役所的な仕事の仕方を改め、自らホームページを「調べる」、民間なら当たり前の作業を感染急拡大から1カ月以上経って始めたのだ。
それも自らの意思というより「やむなく」踏み切った感じである。3月下旬以降、感染者が急増した自治体からの報告が遅れるようになったため、「症状有無確認中」という感染者が5000人を超える事態に直面していた。症状の確認には医療機関の協力が不可欠だ。急増していた患者の治療に当たる医療の最前線に「報告」を求めてもなかなか対応できない。
感染者の集計は、医療機関などからの報告を保健所がファクスで受け取ってデータベースに入力するなど手間のかかる作業が求められており、医療機関も保健所も手が回らなかったということだろう。
感染症の発生件数がわかるシステムは存在する
実は、新型コロナの蔓延前から感染症の発生件数の調査は行われてきた。国立感染症研究所が運営するNESID(感染症サーベイランスシステム)だ。医療機関から報告を受けた保健所が、NESIDに患者の氏名などの情報を入力する仕組みで、この情報が自治体などに共有されている。法律で指定されている感染症ごとに発生件数が分かる仕組みだ。
一部の自治体ではこのデータをホームページなどに公開しており、市民がデータを知ることができる。例えば川崎市の感染症情報発信システムでは毎週集計結果が公表されており、新型コロナウイルス感染症疾患の発生件数は5月10日までに301件に達していることが分かる。
ところが、今回の感染者急増で保健所の業務がパンク状態になり、入力作業が遅れた。それだけでなく、NESIDには入院先や退院などの情報が入力項目になっていないため、「症状の有無」などの情報把握が遅れていたわけだ。東京都など退院者数が何週間も同じ数字になっていたのはこのためだ。
この状況で「新システムに切り替え」
状況の正確な把握ができないことに対して批判を浴びたからだろうか。厚労省は5月1日になって、「新型コロナウイルス感染者等情報把握・管理支援システム(仮称)の導入について」という文書を都道府県などの衛生主管部局長あてに送った。そこにはこうある。
「新型コロナウイルス感染症に関する患者等の情報については、日々のご報告・ご連絡等をお願いし、メールや電話等により、お問合せをさせていただいているところですが、保健所等の業務負担軽減及び情報共有・把握の迅速化を図るため、今般、緊急的な対応として、厚生労働省において新型コロナウイルス感染者等情報把握・管理支援システム(仮称)を開発・導入することとしました。医師から保健所への発生届、保健所から都道府県等への報告については本システムへ入力いただく形で行うこととさせていただく予定です」
緊急対応として新しいシステムを導入するとしたのである。5月17日の週を目途に全国で利用開始するとしており、厚労省は「本格稼働すれば、正確な実態を公表できるようになる」としている。と同時に、こうも付け加えている。「具体的な運用方法に関しては、別途通知を発出予定ですが、新型コロナウイルス感染症に関しては、各自治体におけるNESIDへの入力作業は不要となります」。
保健所の作業を軽減するには、今までの入力を無くし、新しいシステムに移行することが必要という判断だろう。おそらく新システムに入力するとNESIDにもデータが共有される仕組みになっているのだろうが、この混乱の最中にシステムを切り替えること自体のリスクは考えていないのだろうか。稼働しているNESIDのデータも信用できない、ということにならないことを祈るばかりだ。
役所の仕事はいまだに「紙ベース」のまま
厚労省が新型コロナの蔓延という緊急事態が起きて、あたふたとシステム構築に動かざるを得ないのは、役所の仕事の仕方に問題がある。もう10年以上前から「デジタル化」が求められているにも関わらず、紙ベースの作業が圧倒的に多い。文書はパソコンで作っていても、決裁を受ける際にプリントアウトし、上司に印鑑をもらってから再びスキャナーでPDF化して保存するといった冗談のような「デジタル化」を真顔でやっている役所がまだまだ存在する。
パソコンも自宅に持って帰ることができず、自宅のパソコンを役所のホストコンピューターにつないだり、データをUSBで持ち帰ることも禁止されているところがほとんどだ。これだけ民間には在宅勤務を要請しながら、ほとんどの役所でテレワークができずにいるのだ。
テレビカメラに映る保健所の相談担当や、労働局などの雇用調整助成金担当が、狭い部屋の中で通常通りの机に座って電話応対している姿がニュース番組に流れているが、まさに「三密」状態だ。海外ではコールセンターなどで感染者が大量発生する例も出ており、危険そのものだ。電話を職員宅に転送する仕組みも、ルールもなく、テレワークに対応できないわけだ。
「縦割り」のままではデジタル化の効果は薄い
日本の役所の場合、欧米に比べて感染者の増加ピッチが遅く、死亡者も少ないという「幸運」にかろうじて支えられている。役所でひとたび感染爆発が起きれば、新型コロナ対策そのものがストップしかねない。
厚労省の新システムへの移行がうまくいくかどうかは別として、今回のコロナ禍をきっかけに、一気に役所の働き方も見直すべきだろう。何せ、デジタル化が進んでいない。紙がベースであり続ければ、オンラインで業務を行うことも不可能だ。さらに、デジタル化は単に紙をPDF化して「デジタル」に置き換えるだけでなく、仕事の仕方を根本から見直さないと効果がない。
民間ではデジタル化の徹底によって仕事の仕方を根本から見直すDX(デジタル・トランスフォーメーション)が叫ばれ、今回の新型コロナの発生前から社内に「DX推進室」を置くことが流れになっていた。しかもポイントは、どこの部署にも属さないDX責任者、チーフDXオフィサー(CDXO)を置き、部門を横串にした業務改革を行わせることだ。縦割りの「部門の論理」を優先させれば、旧来の決裁システムや決裁ルートを変えることができず、紙がデジタルに置き換わっても業務は変わらない。
天才プログラマーを「デジタル担当」に抜擢した台湾
政府のDX化で、ここにきて俄然注目されているのが台湾である。2016年に、天才プログラマーと言われたオードリー・タン(唐鳳)氏を35歳の若さで、閣僚級の「デジタル担当政務委員」に抜擢。タン氏は、インターネット上にあらゆる情報を置き、政府の大臣や官僚が何を考えているか国民が知ることができるようにする徹底した情報公開に踏み切った。また、ネットで国民の知恵や意見を集めることで、問題解決にも取り組んだ。こうした人材のネットワークによって、今回の新型コロナ問題でも、マスクの配分システムなどをいち早く作るなど成果をあげているという。
日本政府は2019年6月14日、「世界最先端デジタル国家創造宣言・官民データ活用推進基本計画」を閣議決定した。その中で、これまでのIT戦略の歩みについてこう述べている。
「政府CIOがIT政策の統括者となり、府省庁の縦割りを打破して『横串』を通すことにより、政府情報システムの運用コストの削減やデータ利活用の促進など、着実な成果を積み重ねてきている」
だが、「自画自賛」にもかかわらず、役所のDX化は進んでいない。DX化を進めるには情報開示が不可欠だが、霞が関は伝統的に情報開示に消極的だ。
パンデミックで政府が機能停止しないために
ちなみに基本計画で触れられている政府CIO(最高情報責任者)の正式な日本語名称は「内閣情報通信政策監」。官僚トップである内閣官房副長官の半格下の高級ポストである。台湾のタン氏と同じ役割を日本政府CIOも期待されている。
このポストには、現在は大林組の元専務で情報システム担当などを務めた三輪昭尚氏が就任している。さすがに民間からの採用だが、タン氏(現在39歳)と大きく違うのは年齢。高級ポストにはふさわしいということだろうが、三輪氏は68歳だ。しかも、CIOの下に置いた各省庁のCIO(情報化統括責任者)は幹部官僚の兼務。ITに詳しいわけではない。むしろ、従来の仕事の仕方の中で偉くなってきた人たちだ。
今回の新型コロナの蔓延を機に、政府部門の仕事の仕方が根本から変わることを期待したい。今回は「三密」覚悟で役所に詰めて対応できているが、新型コロナよりもさらに猛烈なウイルスがパンデミックを起こすことも十分あり得る。その時、政府が機能停止しないためにも備えが必要だ。今回の「失敗」を率直に反省してDXを進めることを期待したい。
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