外出自粛で「第一波」は抑え込めたと思ったが…
新型コロナウイルス感染を背景に、世界中の国で「超過死亡」が続出している。超過死亡とは過去の統計などから予想される死者数に対し、何らかの原因で予想を「超過」した死者数を指す。
超過死亡には新型ウイルスでの死者だけでなく、新型ウイルス流行に伴う医療崩壊などにより他の病気の治療を受けられなかった人が含まれるため、非常に重要な指標といえる。この超過死亡で深刻な状況にあるのがイギリスだ。
イギリスでは、高齢者や慢性疾患などを持つリスク患者を守るため、「Stay Home」が呼びかけられてきた。3月23日以来、8週間にわたって人々は徹底的な「外出自粛」を強いられた。その結果、4月中旬時点で外出規制の達成率が82%と、国全体で8割を超えた。高齢者に1週間全く会わなかったという人の割合は9割を超えるなど、抑え込みのための活動は目標を達成した。
イギリスにおける新型コロナの流行は、5月初旬時点で「第一波」が落ち着き、医療機関の重症患者対応にも余裕が感じられるようになった。ところが、大きな問題が浮かび上がっている。高齢者向け介護施設での「高齢者大量死」という現象が生じているからだ。
約1カ月間で、例年より1万5000人多く亡くなっている
保健省は4月13日、実態調査した結果、イングランドに1万5000カ所余りある介護施設のうち、13.5%に当たる施設2099カ所で集団感染が起きていると発表した。
その後の経過は惨憺たるものとなった。病院に搬送されないまま施設で亡くなる高齢者が続出。例年、英国の介護施設で亡くなる人は毎週2800人程度だが、4月から5月にかけての1カ月間は、毎週4927人~7911人が亡くなっている。その「超過死亡」は、この1カ月だけでも1万5000人に上る。
介護施設での入所者へのお世話は「すべての動きが濃厚接触」というくらい、職員が高齢者らの身体に触れる回数は極めて多い。つまり、ひとたび職員が外部からウイルスを持ち込んだら、たちまち施設内で蔓延するリスクが高い。実際に、北アイルランドにある介護施設では、入所者39人が全員陽性、うち14人がすでに命を落とす、という厳しい状況にある。
世界保健機関(WHO)の欧州担当専門家は4月23日に行われた会見で「各国の推計では、欧州での新型コロナの死者数の半数近くは介護施設の入所者らだとみられる」と指摘している。
イギリスの「新型コロナによる死者数」は毎日夕方、首相官邸から発表されている。
このベースとなる数値は3月以来「病院で亡くなった人数」が伝えられていた。しかし、4月29日を機に「陽性で亡くなった全死者数」へと切り替えられた。つまり、介護施設や自宅での死者を加えて、より実態に合った形に変えた。5月18日現在、陽性と確認された死者数は3万4796人に達している。
超過死亡のうち7000人の死因が分からない
ところが、感染のピークが過ぎ、改めて国家統計局(ONS)が国内の介護施設での死者数を追ったところ、例年よりも異常な数の死者が出ていることが発覚。官邸発表の死者数と、自治体に寄せられた死亡届の数がまったく合わない事態となっている。
具体的には、こんな格好となっている。
・4/4~10の週=コロナ感染死者数:1534人、介護施設での死者数全体:4927人
・4/11~17の週=それぞれ2481人、7316人
・4/18~24の週=それぞれ2476人、7911人
・4/25~5/1の週=それぞれ1969人、6409人
上記をもとに計算すると、4週間の間に介護施設で亡くなった人は合わせて2万6563人。そのうち、1~3月の平均死者数を目安に1万1200人を差し引くと、超過死亡は約1万5000人となる。そのうち8460人はコロナ陽性が確定しているが、残る約7000人の死因は分からないままだ。
5月中旬に入り、さすがにこの状況はまずいと政府が認識し始めた。6月をめどに、介護施設の職員入所者全員のPCR検査を実施すると打ち出したほか、介護施設内で起きていることの透明性をより高めたいとする発言がようやく出てきている。
なぜこんなことが起きているのか
約7000人の死因が全てコロナ感染であると断定はしないまでも、数千人単位の誤差があるのはあまりに不可解過ぎはしないか。まさか介護施設がこぞって死因を隠蔽するわけがない。ではどういう事情が考えられるのだろうか。
この辺りの事情について、老人ホームでの勤務歴を持つ女性にこうした「数値のズレ」が起きた理由について聞いて尋ねてみた。
「英国では、介護施設に入所する際、あるいは入所後に『終末期医療』において蘇生措置拒否の書面に署名している高齢者が多い。コロナ感染で重症化したとしても積極的な治療を行わないことを、ご本人はもとより家族も受け入れているのではないか」
この推察をもとに、改めてイギリスの老人福祉機関などがコロナ禍においてどんな論議をしているか改めて調べてみた。すると、看過できない状況が浮かび上がってきた。
公共放送BBCによると4月の上旬、イングランド南部のある地域では、その自治体を管轄するNHSの経営陣が地元のかかりつけ医らにこんな文書を送っていたという。
感染でさらに苦しむなら入院は望ましくない?
曰く、「高齢者をはじめとする多くの脆弱な人々が新型コロナに感染した場合、治療のために入院が不可能な可能性がある」とし、全ての家庭に「感染してしまった場合に蘇生措置を受けたいかどうか確認しておいてほしい」と。
BBCは「終末期医療の準備のために、DNRあるいはDNACPR(いずれも蘇生処置拒否指示の意)と呼ばれる書面に署名するか否かを相談すること自体は珍しいことではない」としながらも、「この時期にケアマネージャーが高齢者がいる家族に署名について説明することは相当のプレッシャーがあったはずだ」と状況をおもんぱかる。
ところが、先のかかりつけ医に送られた文書には「虚弱な高齢者はコロナウイルスの肺合併症に必要な種類の集中治療に反応せず、実際に入院のリスクがある。さらに痛みや苦しみを悪化させる可能性もある」「したがって、コロナウイルス感染の場合、入院は望ましくないと考える」と記されていたという。
慈善団体は「個々のケースで判断する必要がある」と懸念
このような医療機関などでの動きが具体化する中、英国最大の高齢者向け慈善団体「AgeUK」は4月7日、「高齢者や脆弱な人々がDNACPRへの署名を迫られている中、利用できるケアと治療の選択肢について、「施設にいる高齢者については、ひとまとめ(包括的)に治療に対するスタンスを決めている危惧のある例が見られる」とした上で「患者、医師、家族の間での議論を通じて、リスクとメリット、および人々自身の希望を考慮して、個々のケースごとに判断する必要がある」とコロナ感染がピークを迎える危機に直面する中、こう指摘した。
ニューヨークをはじめとする、危機的状況に陥った街では、医療従事者が「いのちの選択に迫られるケースがあった」という話はあらゆる報道でわれわれも耳にした。ただ、こうした状況への対応について、国民健康サービス(NHS)イングランドは「病院で治療を受けることができる人を選択する際の全国的な統一見解はない」というのが実情なのだという。
最後の面会に必要な防護服にも苦労する
そうした中、マット・ハンコック保健相は、官邸での会見の際「介護施設利用者がコロナに感染した場合、入院を拒否されることはない」「ベッドの空きがある限りは、臨床的な決定に基づいて治療される」といった説明を行った。しかし、BBCは「介護施設という外から見えにくい場所で、塀の向こうでどんなことが起こっているか分からないという懸念がある」と指摘。施設職員向けの防護服やマスクが欠乏している中、連鎖的な感染が起こったにもかかわらず、充分な治療への対応が間に合わなかった可能性は否めない。
高齢者向けケア・介護施設を運営する慈善団体メゾディストホームズ(MHA)のサム・モナハン最高経営責任者(CEO)は、「NHSのスタッフは終末期医療への対応という『仕事』に慣れている。しかし、数カ月あるいは数年にわたって利用者との間に密接な個人的関係を築いている施設職員は、高齢者が死に直面している状況をなかなか受け入れられないかもしれない」と指摘。「施設職員らは、家族たちが(コロナで)息をひきとる肉親と最後のひとときを過ごせるよう、防護服を確保するのに苦労している」と厳しい状況を話している。
ちなみに、イギリスでもコロナ感染が判ったのちに病院で死去すると、日本や米国などと同じように「最後のお別れ」ができないまま葬られるのは言うまでもない。
高齢者のいのちを守りきることはできるか
感染ピークの第1波をどうにか乗り越えた4月20日、慈善団体の「AgeUK」は、死亡届による死者数が、コロナ原因死の人数より極端に多かった事実を政府が発表したことを受け、「介護施設に肉親を預けている人々にとって、非常に衝撃的で悲痛な推計だ」と批判。「施設で起こっていることは悲劇といえ、これを回避するにはもう遅すぎるが、今後はより多くの命を救ってほしい」とつらい声明を出している。
国はこうしたジレンマの解決に向け、介護職員などに行きわたるよう、空軍機まで出して大量輸入した防護服の多くは5月7日になって「安全性が足りない」という理由でリコールとなった。
高齢者が亡くなっている事実はもっと重い。最後に図表2を見ていただきたい。
幸いにも、最新統計を見る限り、介護施設での死亡者もどうにか減少傾向となってきた。ただ、イギリスでは徐々に経済活動が回復してきており、施設の勤務者が外からウイルスを持ちこんでくるリスクが再び高まっている。
果たして、高齢者のいのちを守りきることができるのだろうか。課題はまだ山積みだ。
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