就任以来、独裁強化にいそしむ習近平
「ポスト習近平は習近平だけ」
産経新聞が一面記事でこう見出しを掲げたのは2017年のことだった。中国国内の権力闘争を解説した記事だったが、18年3月、この見出しは現実のものとなる。中国の国会に当たる全人代で、それまで憲法に「2期10年」までと定められていた国家主席の任期を撤廃したのだ。
12年に習近平体制がスタートしてからというもの、習近平は独裁体制の強化にいそしんできた。「ハエもトラもたたく」とのスローガンによる反腐敗運動を掲げてライバルを追い落とし、処断された共産党幹部は150万人にも上るとされる。中国お得意の権力闘争を「反腐敗運動」と置き換えることで人民の支持をも取り付けた習近平は、満を持して集団指導体制から方針を転換し、自らに権限を集中させる一強体制を作り上げることになった。任期撤廃はその到達点ともいえる。
習近平独裁体制の割を食うのは党幹部だけではない。中国人民はいまや「デジタル文革」とも呼ばれる監視・検閲下に置かれている。中国国内の監視カメラは6億台以上ともいわれているが、単に映像を記録しているだけではなく、顔認証システムによって動きを追跡し、犯歴データと突き合わせしている。当然のことながら、政府に対する異論は許されない。見つかればこちらもすぐに処断される。
習体制になり、言論の自由の制限は次の段階
18年7月、ある女性が中国・上海で習近平国家主席の「独裁に反対する」などとして習主席の顔が描かれたポスターに墨汁をぶちまけた。彼女は当局によって精神病院に入院させられ、1年半後の20年1月に久々に消息が伝えられたが、まるで別人のようになっていたという。この件は運よく表ざたになったが、人権派弁護士や活動家をはじめ政府批判を行って投獄され安否も分からない状況にある人たちは数百人ではきかないだろう。
もちろん習近平以前から中国の言論の自由は著しく制限されていたが、習体制になってから、その厳しさの段階は変わった。それは自国民だけでなく、中国で活動する記者も同様だという。朝日新聞国際報道部の峯村健司記者は19年9月刊行の『潜入中国』(朝日新書)で「こうした潜入活動ができるのも最後だろう」と綴っている。
中国当局は新疆ウイグル自治区に教育施設を装った施設を設営し、100万人以上とも言われるウイグル人を収容。イスラム教に基づく文化や習慣、イスラム語などに代わって、「中国共産党公認」の文化や言語を教え込む。当局に言わせれば、これはあくまでも「再教育」であり、北京語を覚えることで学業や就職で活かせるようになる善意の政策であるとのことだが、当のウイグル人からすれば、宗教と文化を奪われ洗脳を強いられる強制収容所に他ならない。
それでも大方の中国人民、それなりに満足し幸せ?
それでも大方の中国人民は、それなりに満足し幸せを感じているという解説もある。40年前の中国を思えば、貧乏で移動の自由もなく、人民服で自転車に乗っていた自分たちが、先進国と同じようにスマートフォンなど最新機器を手にし、所得は上がり続けている。海外旅行にも行けるのだ、と。
改革開放路線に経済成長以外の期待をかけたのはアメリカだった。1970年代初頭の電撃的なニクソン訪中以降、アメリカは陰に陽に、中国が国際社会の一員になるよう支援さえしてきた。その背景には、「中国も豊かになれば民主化するだろう」という思いもあった。やがて人々は一党独裁体制に疑問を持つようになり、政治に参画したいという意識を持ち始める。民主化への流れは経済発展とともに高まるだろう、と。
こんな皮肉を誰が40年前に想像しただろうか
しかし、そうはならなかった。むしろ「豊かになっても民主化を求める声が増えない(あるいは押さえつけられる)政治体制」の必要性を、中国に強く意識させることになったようだ。中国では、国営でない民間企業であっても党組織を社内に設置することが「奨励」されている。こうした党組織を備えたまま海外に進出する中国企業も少なくなく、中国を出ても党の干渉からは逃れられない。また、本来であれば人々の生活を向上させ、自由な発想をより生みやすくなるはずのテクノロジーの発展が、かえって中国の独裁体制を強化することにつながってもいる。
こんな皮肉を誰が40年前に想像しただろうか。
事態を「逆手に取る」、つまり弱点を強みに変え、ピンチをチャンスに変えることのできる点が、中国の強みなのかもしれない。20年初頭から世界を揺るがせている新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行も、中国を利することになりかねない流れになりつつある。
新型コロナ感染症の流行では、中国は国際社会から発生源としての責任を追及されるとともに、当初は国内でも情報隠蔽や対処の遅れを指摘される状況にあった。発生地論争は特にアメリカとの間で今現在、熾烈な争いを展開している最中だが、一方で中国は各国に比べていち早く感染症の流行を封じ込め、今や各国へ衛生品を輸出し医療体制を支援する側に回っている。
「マスク外交」という国家戦略にはまる諸外国
この中国の動きは「マスク外交」とも呼ばれている通り、国家戦略に基づくものだ。「新型ウイルスを蔓延させた責任を感じての罪滅ぼし」などではなく、マスクなどの衛生品を「戦略物資」と位置づけ、この機に中国の国際的なプレゼンスを向上させる目的がある。
感染が爆発しているイタリアでは、自国に支援の手を差し伸べる中国に対して「これこそ連帯だ」との声が上がり、言葉ばかりで実際の支援が伴わないEU各国への不信感が募っているという(イタリア支援でEUにくさびを打ち込んだ中国)。
動機は何であれ、すでに病を鎮圧した国からの助言や支援は、感染症流行中の国にとっては実にありがたいものであろう。アメリカが自国のコロナ対策で手いっぱいで国際的な働きかけができない今、中国はコロナ事態を「これからの国際社会のリーダーはアメリカではなく中国だ」と印象付ける好機と見て、まさにピンチをチャンスに変えるべく外交、情報、あらゆるチャンネルをフルに使って攻勢を強めている。
コロナの「制圧」は、中国モデルの宣伝にはうってつけ
かねてより、中国が「国内的には世論の弾圧や国民監視を行いながら経済発展し、国際的なリーダーシップを取りうる体制」(権威主義的体制)を喧伝し、開発途上国をはじめとする国々がモデルとして取り入れるのではないかという懸念が指摘されてきた。今回の新型コロナの「制圧」は、中国モデルの宣伝にはうってつけの事例になりかねない。
日頃から国民を監視下に置いて徹底的にデータを収集し、いざとなれば強制的に都市封鎖を行ってでも、感染症の蔓延を封じ込める——そうした状況自体が、感染封じ込めに奏功したのだから。中国が今回の新型コロナ対策でしくじれば、それは習近平体制を瓦解させる契機になるかと思われたが、だからこそ北京では全力を挙げて「制圧」したのだろう。
だがその手法を、結果だけ見て手放しで支持するわけにはいかない。芥川賞作家で中国出身の楊逸さんはこう述べている。
《「隣の家には感染者がいるようです。早く連れて行ってください」と報告があれば当局は強制的に対応するでしょうし、抵抗する人々を見て周りの人が「嫌がっているのだからやめてください」などと言えば、「反革命的態度だ」といって自分が連行されかねない。これは、私も経験した文化大革命の時代と同じ手法です。
となれば、相互不信は当局によって作り出されている面もあるでしょう。一つの村や町で人々が団結し、新型肺炎対応に対する当局非難デモでも起こされれば、共産党体制に揺らぎが生じます。人々を分断しておくことは、当局にとって非常に都合がいいのです。》(新型コロナ蔓延は中国共産党の「殺人だ」|楊逸)
「新しい生活様式」さえ、習体制の手助けか
民衆同士を疑心暗鬼にさせ、密告を奨励し、コミュニティ形成を阻むことは、デモや反政府運動などにつながる人民同士の連帯を阻む。これはまさに毛沢東がとってきた方針そのものだというのだ。
中国では都市封鎖が解除された後も、人々はデリバリーによる個食を継続しているという。また、健康管理を名目とした個人情報管理も強化される方向に進みつつある(ロックダウンが解除された中国・武漢では、人々が「ヘルスコード」で管理される“新たな日常”が始まった)。コロナ後のこうした「新しい生活様式」さえ、習近平独裁体制の維持を助けることにつながりかねない。
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