※本稿は、池上彰、佐藤優『宗教の現在地 資本主義、暴力、生命、国家』(角川新書)の一部を再編集したものです。
「心」は体のどこにある?
【佐藤】池上さん、心ってありますか?
【池上】あるというか、ないというか。「ない」と言うと、「やはりおまえには心がないのか」と言われそうなので、一応は「ある」ということにしておきます。
【佐藤】このことで、同志社大学神学部の学生たちといつも議論します。「おまえ、心はあると思うか」と。「あります」と答えた学生には「どこにあるか、指で指してみろ」と言います。
【池上】胸を指す人が多いのではないでしょうか。
【佐藤】胸を指す人、頭を指す人、腹を指す人はいます。けれども、手や足を指す人はいません。
【池上】そうですね。
【佐藤】少し狡い人は「全体です」と答えます。
私は神学的な議論をしたいから、この話をするわけです。神さまは上にいるという話があるでしょう。ところがコペルニクス革命以降、上や下と言うことに、すでに意味はありません。ブラジルから見たら下は地球のど真ん中を抜けて日本になり、日本から見るとブラジルが下になり、上にいる神というのは担保できなくなりますから。われわれ(クリスチャン)は、神さまがいないと商売あがったりなのです。
池上さんは、世界中のコンピュータネットワークがつながったとき、「今、神が存在する」と答えたSF作品について触れたことがありました。いずれにせよ、そこで言う「神」はキリスト教、ユダヤ教でいう神さまではありません。人間の限られた知性によって表象される神は人間の偶像で、神ではないからです。その意味で、われわれは神を説明できないのです。
心の中に神さまがいるなら、なぜ第一次世界大戦は起きたのか
【池上】仏教的にいうと、縁、あるいは縁起ですね。
【佐藤】ええ。哲学者のレヴィナス(1906~95)の言葉で言うと、「外部」になります。一八世紀末から一九世紀初めの有名な自由主義神学者シュライエルマッハーは、神のいる場所を天から心の中に変えてしまいました。神は心の中にいることになったので、神の場所における問題がなくなり、自然科学が発展しても問題なくなったわけです。それにより心イコール神さまに近づきました。
ところが、いったん解決したと思った心の中の神の問題は、実は解決しませんでした。1914年に第一次世界大戦が勃発したためです。人間の心の中に神さまが宿っているなら、どうしてあのような大量殺人や大量破壊が起きたのか。同時に、科学技術の発展によって大量破壊や大量殺戮が起きるなら、合理性というものはどこまで信頼できるのかという問題が生じたからです。神学においては、心の位置がとても低くなりました。
AIが発達する時代に「心」をどう位置づけるか
【佐藤】それで現代神学をつくり出したカール・バルトが再び、神は上(天)にいる、と言い出します。ただしこれは、形而上的な「上」ではありません。「外部」ということです。
この心の問題というものも、厄介です。それだから、脳を研究している人のあいだに「心脳問題」──脳との関係で心をどう位置づけるか──が生まれたりします。私の接触している範囲では、心などというものは一種の幻影だと言う人のほうが多いように感じます。AIと関連しても、心の問題をどう見るかは重要です。
関係が一義的であるネットワークから心のような表象が出てくるのか。あるいは、ある種の心のあるものが、目には見えないけれど確実に存在するというリアルなものとしてあるのか。これもすべて立場設定の問題になってしまうでしょうが、大切な問題だと思います。
重鎮の政治家は占いをすごく怖がる
【佐藤】ところで池上さんは、占いを信じますか?
【池上】全く信じていません。
【佐藤】占いをしたことはありませんか?
【池上】「やってあげます」と言われたことはあります。言ってくれた人の気持ちを傷つけてはいけないので、「ではお願いします」と言って占いをしてもらい、「へぇ~」と感心してみせたことはありますけれど。
【佐藤】私は政治家を見てきましたが、閣僚以上の政治家になると、占いをすごく怖がります。自殺した元農林水産大臣の松岡利勝さんは、占いだけでなくギャンブルも怖れていました。以前、私は松岡さんとモスクワのカジノに行ったことがあります。彼は「選挙で毎回博打をしているから、こんなところで勝ったら運を使い果たすし、負けたら悪運がつくかもしれない」と言って全然賭けません。「先生、では占いはされないのですか」と尋ねると、「とんでもない、恐ろしい」と。鈴木宗男さんも占いは絶対しませんし、週刊誌の占いのページも飛ばして読んでいました。
【佐藤】占いは人知を超える世界だという感覚があり、占いをしたら逆に左右されやすくなるため、しないのだと思います。
同志社大学神学部の学生たちにも占いの経験があるかと聞くと、だいたい3~4割は経験があると答えます。一般の大学だともう少し多く、半分ぐらいあると答えます。創価大学では「そんな迷信は信じません」と、占い経験のある学生はゼロでしたが。
【池上】それはそうでしょう。
本物の占い師と偽物の占い師の区別の仕方
【佐藤】本物の占い師と偽物の占い師の区別の仕方を伝えたいと思います。占いは、ベースに占星術があります。だから生まれた時と場所を尋ねない占い師はインチキ占い師です。生まれた日にちと時刻をできれば分単位で、それと場所の経度・緯度をはっきりさせることで、原点の天球がどうなっているかがわかります。占いはその星と太陽と月の位置を原点にし、そこからどう乖離しているかで組み立てます。そのため、時間と場所を特定しない占いはいい加減です。論理からしても、週刊誌やワイドショーで朝に見る占いは、当たるはずがありません。
占いは何かというと、入り口はぶっ飛んでいてまったく非合理的、非科学的です。ちなみに、宗教思想では神秘主義もそうですが。ところが一度その中に入るとすごく詳細な手続きがあり、合理的なのです。私のような神学屋からすると、占いは科学の発想に似ています。要するに一つの手続きがあり、その手続きに則って行えば同じ結論が出てくるという点で、科学と魔術は近く見えるのです。
【池上】政治家の占いの話でいいますと、1978年に首相にもなった大平正芳はクリスチャンでしたが、首相在任当時、実は人を介して、岡山のほうにある某宗教団体からのご託宣をいつも受けていたと言います。そのご託宣をもとに、今後についていろいろなことを考えていた、と。
クリスチャンでも政治家としてトップになると、そのような心の弱さ、不安がやはり生じるのかな、と思いました。
心に弱さがある限り、占いはなくならない
【佐藤】聖書の中には「占いはいけない」「動物と交わってはいけない」と書かれています。これも、そのようなことをする人が実際にいるから禁止になっているわけです。クリスチャンがひそかに占いに行くことは、よくある話だと思います。
私は占いをされる側ではなく、する側になりたいと思い、一時易学や占星術に凝ったことがあります。編集者を「どこかの占星術学院に通わないか」などと誘ったこともありますが、さすがに周りの牧師連中から「やめとけ。ただでさえ誤解されているから、そんなことをするとキリスト教系の淫祠邪教でも作ろうとするのかと思われる」と言われたので、やめました。しかし心の中には今でも、占いの内在論理を知りたいという気持ちがあります。
【池上】占いがこれだけ広がっているという事実は、やはり人間には不安があって、何かにすがりたいことの表われでしょう。自分はこれからどうしたらいいのだろうと思うとき、恐らく多くの人が「信じられないよね」と思いながらも、思わず占いにすがる。占いをすることで何か少しでもいいことがあれば、それを生き方に生かせないかという思いがある。そういった心の弱さというものがあるからこそ、占いはずっと続いているのかな、と思うわけです。
ネコが目の前を横切ると唾を吐いたロシア共産党幹部
【佐藤】ソ連時代、まだソ連の崩壊など見えていない頃ですが、ロシア人でインテリの共産党幹部と一緒に道を歩いていました。道の前をネコが横切ると、私の横にいた彼が後ろを向き、ペッペッと唾を二回、吐くのです。「どうしたの」と訊いたら、「ネコが目の前を歩いていった。こんな不吉なことはないじゃないか」と答えました。「それは迷信じゃない?」と言うと、「いや、迷信じゃない。ネコが前を通ったのを放置してひどい目に遭った奴が何人もいる、唾を吐くのは慣習だ」と説明していました。
こういう迷信的なもの、占い的なものは、やはりわれわれの中に染み付いているということです。心は非常に複雑な問題です。
飛躍しますが、その心の問題に直面する機会は、やはり死にあると思います。われわれは死を回避できない。だから死に気づいてしまうと、やはり占いに関心が出てくるのです。ソ連時代、モスクワのお墓に行くと、共産主義者の墓には日本の卒塔婆にあたるものとして赤い星が付いていました。
【池上】卒塔婆のようなものですか。
無神論を標榜したソビエトで教会がにぎわっていた理由
【佐藤】そうです。ただし、赤い星は夫だけで、妻のほうには十字架が付いている墓がかなり多いのです。夫は共産主義者として生涯をまっとうするけれど、妻は年金年齢に入ったところで教会に通い始める。
教会に行くと、「戦闘的無神論者同盟」と昔は言った「ズナーニエ(知識)協会」の活動家がいました。復活祭やクリスマスになると、「ズナーニエ協会」やコムソモール(共産主義青年同盟)の活動家が教会の前を取り囲んでいて同志的な説得をするので、年金受給年齢に達していない人は教会に入れません。ところが60歳を超えるとみなフリーパスで入れるので、教会は老人でいっぱいの状況でした。
ソビエト政権はあれだけ無神論を掲げていたにもかかわらず、生産年齢を過ぎた人たちに安楽に死んでもらうために、教会の機能は必要だと考えていたのでしょう。「宗教の効用」という、功利主義的な観点から残していたのです。その残していた教会が、ソ連を崩壊させるときには一つの拠り所になってしまった。ですから宗教が死に絶えないという感覚は、私には皮膚感覚としてあります。
【池上】AIに関する議論でも、1960年代のソ連と東ドイツでは、人工頭脳の話がサイバネティックスという形で盛んにされていました。
宗教は、神を信じない環境の方が伸張する
【佐藤】サイバネティックスはロシア語でキベルネチカと言います。モスクワ国立大学には「応用数学とサイバネティックス学部」(現・計算数学・サイバネティックス学部)という独立した学部などがあり、AI研究に特化している学科もありました。そういう時期を経ているので、ロシアの人々は、軍事ロボットなどで人工頭脳に向かう技術を使うことには関心がありますが、シンギュラリティ(※)というようなことに対しては鈍感なように思います。逆に「これはかつて聞いていた無神論の歌、唯物論の歌なのだ」という意識が強く、「シンギュラリティは来ない」と思うようです。
※AI(人工知能)の能力が人類を超えるとされる概念
ソ連体制下では、心というものは物質的なものの一種の模写、反映だとされながら、かなり実体的な心の感覚がロシア人には強かったわけです。だから無神論的な環境に置かれたほうが、宗教はむしろ磨かれるような感じがします。
【池上】なるほど、逆説的ですね。
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